明治製薬オンラインストア

2022/06/20 12:35


明治製薬株式会社は創業70年を超える老舗の製薬会社です。1951年に富山県滑川市で、配置販売向け医薬品メーカーとしてスタートいたしました。富山県は約50~60社もの製薬業者が存在しており、その中で明治製薬は70年以上にわたり、医薬品GMPの厳粛な管理のもと、約60種類ほどの医薬品・健康食品を提供し続けております。最近ではエイジングケア成分で注目を集めているNMNに挑戦し、現在ではNMN商品を15商品ほど出しており、国内のみならず海外のお客様からの支持を受けており、快進撃を見せています。そんな明治製薬を専務踊場様とのインタビューを通じて探っていきたいと思います。



—本日はどうぞよろしくお願いいたします。まずは創設当時の頃のお話をお聞かせください。

 踊場:初代社長の石黒実蔵氏は太平洋戦争最大の激戦地とされるニューブリテン島ラバウルの海戦で僅かに生存した勇者です。終戦後なんとか自分で事業を展開したいと、当時富山県内で花形産業の配置薬製薬業を始めました。当時薬品会社は滑川市だけでも15、6社ほどあり、市の10人に1人が配置薬で生活している感じでした。社長は「これからは個人業ではだめだ、これからは企業組織でいかないと法律に負ける」という思いを聞かれました。1951年に海岸沿いにあった松井組の漁船管理倉庫の一か所を買取り明治製薬を設立しました。欅ずくりの「社名入り看板」の設置で小生が釘止めしました。



—会社を設立してから、まずどのようなことをされたのでしょうか。

 踊場:当時は牛黄などが非常に高価格で、社長自ら、ブラジルのサンパウロに買いに行きました。牛黄・蟾酥・イッカク・鹿茸・熊胆動物の需要が高く、終戦当時、一番日本でご苦労されたが被爆地の広島・長崎だったので、薬品不足で困っている広島に得意先を作ろうと、営業部を設立されました。おそらく富山県の医薬品会社で初めてだったかもしれません。(笑)コンピューターを入れたのも早かったくらい、どこよりもスピード感をもっていました。



—富山から広島へ。広島の次はどこを目指したのでしょうか。

広島県の次は、東京にも目を付けました。東京練馬区南町の工場跡地に営業所を開設、東京での子供の多さに驚き、また同時に「東京の人に愛される薬を作りたい」という強い思いが生まれ、作られたのが子供かぜ薬「ママーベビースペシャル」でした。風邪薬だけど飲みやすく、ストロー付きのジュースタイプで発売しましたが、、これに厚生省より「ジュースタイプ仕様は、飲みやすすぎてダメ」ということで中止になり、新たな分包式に切り替えた「ママベビーかぜ」として売り出しました。当時、販売業者様から多くの信頼を頂き、子ども風邪薬のヒット商品となりました。



 1955年には台湾に胃腸薬と目薬を出したそうですが、きっかけは?

 踊場:当時は販社が少なく、また二世帯三世帯の家族が普通だったので、配置薬はとにかく需要がありました。でも配置薬だけじゃだめだと考え、台湾への輸出も視野に、那覇国際通りに、現地人と明治製薬を設立。台湾輸出用にと目薬と胃腸薬を作りました。弊社の目薬「スーパールミ」は独創的な商品で注目を集め、最初は売り上げがよかったですが、熱帯気候の台湾では、当時目薬容器の耐久性悪く、2年程で終売いたしました。また商品名「胃王」胃腸薬を作り、北日本新聞社から、デザイン賞をもらいましたが、この商品も、原材料配合の臭化ベナクチジユームが製造中止となり、、同製品処方配合のロートエキスがあって、服用される方に、まれにのどやけが生じた報告もあり、残念ながら製造中止となりました。



 —その大変な局面をどう乗り切ったのでしょうか。

  踊場:当時台湾は販売市場に厳しいということで、今度は韓国に行って朝鮮人参を扱ったものを作るのはどうかとなりました。神戸市に日韓高高麗人参(株)があり、陳 高琳社長が高麗人参を富山まで売り込みにきたけど、どこの社も相手にしなかったが、石黒社長が先を読み、販売契約を交わし扱うことになりました。当時、韓国では、煙草、塩、高麗人参は専売品で、諸外国向けの高麗人参は全て食品であり、諸外国向けの輸出用医薬品として、明治製薬が初めて扱うことになり、国内での評価が高く「高麗人参の明治」として知られるようになりました。



  —その後は順調に販売することができたのでしょうか。

昭和55年頃より、韓国で高麗人参の単価が値上がり、弊社では購入の条件も厳しくなり、自社で原料を調達して、新た製品「蔘凰紅参錠」が完成しました。これまで医薬の「高麗人参末」、「人参のエキス」、「紅参切片」を販売しましたが、飲み方に難点があり、「蔘凰紅参錠」を錠剤として販売し取引先より注目を集めました。製品規格に、北里大学漢方権威の斎藤先生、千葉大学の松繁先生、富大、和漢薬研究所、難波先生のご指導もあり、配合処方に評価をいただきました。



   —諸先生方の協力があってできた商品だったのですね。

また斎藤先生に台湾輸出の件で相談した折、先生同伴で協力をいただけることで、台湾にも行きました。台湾市場に医薬品素材の面白いものがないかと探していた時、「雲南田七仙」を台湾で見つけました。私は当時より田七のすごさを聞かせていましたが、直接買うことができなかったです。国内で運よく中国と取引をしている商社を紹介され、配置薬市場に「雲南田七仙」をいち早く取り入れることに成功し、当時、私どもの業界では「雲南田七」を知っている人がいなくてか、非常に注目されました。



—当時誰もが見向きをしなかった高麗人参・田七の他、何かユニークな原料への挑戦はありましたか?

 踊場:この頃、健康食品ブーム到来で、弊社では、「クロレラ製品」、「深海鮫エキス」を発売しました。特にクロレラは、最初は全く相手にされなくて、「海の藻か川の藻かわからないものを誰が飲むのよ」とよく言われていました。()富山県内で四社が「北陸クロレラ協会」設立しました。結果大ヒットしました。弊社も多額の資金を投入、東京4チャンネルでPRまた、新宿コマ劇場で霧島昇歌手、コロンビアロウズさんを使ってCMを流しましたね。今だから言えることですが、弊社の新工場も三階建ての計画でしたが、計画を改めました。



 —医薬品製造会社がサプリメントを作るということに葛藤とかありましたか。

 踊場:ありましたね。富山県のユニークな医薬品製造会社としても注目を集めていましたが、「医薬品製造会社が効能効果のないものを作って何になるんだ」、「身体にいいのであれば医者がすでに認めているはずだ」「効能効果がないものをどうやってお得意先に説明できるのか」など社内でも様々な声があがりました。また購入された方が商品を医者に相談したら、このようなものを飲むなという風潮が少なからずありましたね。



—その状況をどう打開したのでしょうか。

 踊場:医薬品は病気・症状を治すのに有効であって健康になるのとは違いますよね。その違いを説くことから始めました。ちなみになぜ牛が大きくなると思います?毎日草を食べているからですね。草の中に色んな成分があり、根から栄養を吸ってきた草が色んな栄養を蓄えており、それを牛が食べて大きくなっているんですよね。またイワナは谷間の清流に生息し、山の恵みから生まれる自然なものしか食べていないが、食べるととても美味しいですよね。健康で長生きするには、薬に頼らず、朝昼晩しっかりした食事をとること、足りない栄養を健康食品で補う事が大切で、自分の体に不足な栄養を摂取するのが一番いいです。当時偏見があった健康食品に対して、自ら飲んで健康であることを証明する必要もありましたが、やはり信頼できない商品に対して、消費者の方が安心して飲むことができるレベルまで安全性、機能性を追求していく必要が不可欠であり、この目標に尽力してまいりました。弊社の信念を理解いただき、今日までお客様の信頼を得ています。



—現在まで続いてこれた理由はそこにあるのですね。

 踊場:取引先の頭数は多くはないですし、大きな会社ではないですが、社長代々曲がったことは大嫌いで真摯に向き合い、徹底したいい商品を出さないといけないという信念を持て、業務に精神しておりますが、現在取引のある会社様は、会社の製造品に対する信頼を判断されてお取引していただいております。その証として、長期間、お取引のお客様から依頼のあった商品、一部紹介しますが、ロイヤルゼリー、風邪薬、胃腸薬、Q10核酸ヘルシーブレインなど、常にお客様のニーズを満たす商品を作り続けて、信頼をいただいております。



 —他社と明治製薬の大きな違いはどこにあると思いますか?

 踊場:富山県内薬品業界でも幾多の会社が合併されてきましたが、明治製薬がそうならなかったのは欲に左右されなかったところですかね。人間の欲は限りないですが、日々商品を作る社員も消費者の代表ですから、足元から満足するための製品構成が絶対条件ですね。キーワードの一つとして考えないといけないし、またユニックな商品を作る会社として、お客様が期待してくださる対応姿勢をもって常に挑戦し続けているところにあると思います。弊社が与えられたしっかりした土台を踏み外すことなくGMPにかなった安全性、有効性に優れた「医薬品」、「サプリメント」を生み出し続けていると信じます。


あとは余談になりますが、社名が記憶しやすいので、安心して対応して頂けます。(笑) 富山ナンバーで県外業務中でよく薬屋さんでしょうと声をかけていただいております。有難いことに、全国何処の地区においても、配置薬で世話になっている人が多く、明治製薬の社名を聞いて安心してくれる方が多いです。社名に負けずに、この先も頑張っていかないとですね。


—本日はどうもありがとうございました。